スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

熊太郎さん 咳 コンコン

2008年09月18日 11:05

久しぶりの更新です。
フェレたちも人たちも元気です。
10日ほどフェレたちも一緒に、スペサンの実家に帰っていました。
その間、熊太郎がちょっとだけダウン??
夜になって咳が続き、翌日もまた長く咳が続いたので
東京に住んでいた時にお世話になっていた動物病院にいきました。
(埼玉に引っ越してからセカンドとしてお世話になってる病院があるんだけど、
その日に限って休診日なの…)

担当してくれた先生は、2年前通っていたとき見習いだった先生。
おっとぉぉ、大丈夫かしら~ん?と思ったら、ごめんなさい!
2年の間に経験を積んだのですね!フェレットの補ていも完璧!
(当たり前かと思うけど、案外出来ない(やらない?)獣医さんもいらっしゃる。)
触診までしてくれちゃって、説明も堂々たる物。とても安心できる診察でした。
重要なところは上の先生がちゃんと見てくださり、熊太郎の診察結果は
とりあえず注射と一週間の投薬で様子見、ということになりました。
聴診器での心音、肺の音は問題なし。
薬で様子を見て、症状がよくならない場合はエコーやレントゲンで検査をする。

久しぶりに買ったベッド バナナちゃんです♪
0809304.jpg

1週間たった現在、たまに咳が出ることもあるけど、この前のように続くことはなし。
東京の病院には頻繁には通えないので、埼玉のかかりつけ病院で見てもらうことにしました。
<東京の病院>
咳止め、ステロイド、インターフェロンを注射。
咳止め、抗生剤 の飲み薬。

0809302.jpg


姪っ子の誕生日ケーキ フラッシュナシで撮ってみました
0809301.jpg


9月18日 午前11時05分 義父が亡くなりました。
ここからは、忘れたくないことをただ書き連ねている備忘録です。
読んでもらいたくて書いているものではありません。
なら、ブログに載せるなーって話ですが、
私自身が読み返したい時に簡単に読み返すことができるように書いています。
リアルな表現も含まれ、気を重くさせてしまうかもしれません。
ご注意を…










0809303.jpg














お腹の中に原因不明な肉腫がどんどん出来てしまう
今までに症例のない病気で、約1年半の闘病生活。
症例がない、データがない、治療法がない、薬もない
体力をつけて手術で肉腫をとる、またできる、また手術。
手術直後は元気になって退院するも、すでに肉腫は生まれているので
次の手術に備えて体力をつけるために、自転車で走ったりしていたお父さん。
それの繰り返しで、何度手術したのかわからなくなるほど。4回?5回?だったかなぁ…
私たちに知らされないまま手術してたってこともあったなぁ。
最後の手術の前には、グアム旅行にいけるほどに元気になったこともあったんだけど、
やっぱりまた手術。
切ることで肉腫に刺激を与えて増えていることがわかり、
切ったところから体外に腫瘍が出てくるようになってしまった。

--モウ ナオルコトハ アリマセン--
最後の手術(7/24)の術前説明のとき、医師はそう言った。
  うちに帰りたいなら今しかない。
  手術をしても治る保証はない。
  肉腫を取って、一時的には楽になるかもしれない。
手術をするか、うちに帰るかの究極の選択を迫られた日。
そんなこと簡単に決められないよ、涙をこらえたとき
義父は自ら「先生にすべてを託すと決めています。手術してください」と言いました。
手術すれば治るんだ、と思った瞬間でした。

3時間の予定の手術が12時間かかり、術後の説明では予想以上に…
それでも治ると、奇跡が起きると信じていました。
信じるしかなかったんだと思います。
そう思わないと前に進めないんだよ。

術後は3日間ほど救急救命センターで、ごく近しい人だけ面会を許され、
その後は個室、そして2人部屋と回復しているようでした。

お見舞いに行ったある日のこと。
パーマをかけて、右横でひとつ結びにした私を見て
「なんだかかわいくなったなぁ。○○(孫の名前)みたいにかわいい。」って。
可愛いなんて義父に言われたことないし、改まってそんなこと言わないでよ。
ナニを急にそんな~、お義父さん、どうしちゃったの?って照れたら、
「インディアンの酋長の娘みたいだ」って、いつもの笑いも付け加えられて^^
最後の手術から約1ヵ月後のことだった。
それが義父とまともに、楽しくできた、最後の会話だったかもしれない。

その後もスペサンの仕事の休みの時には会いに行っていたんだけど、
なぜか私たちが行くときは、いつも調子が悪くて寝かせてあげたいのもあり、
見ていて辛いのもあり。
「今日は調子よくて、食べたり飲んだり、孫と遊んだりしたのよ」と話を聞き、
翌日行ってみると前日の疲れが出てダウン…なんだよね。
そんなことが続き、行きづらくなっていた矢先。
深夜、日付が変わるころにモウダメカモシレナイな連絡。 9月18日 午前0時36分


夜中に駆けつけたら『最後に呼びたい人たち』はすでに集まっていて、私たちが最後。
看護士さんが「ご家族の方々、皆さんそろわれましたか?」って。
何を覚悟すればいいのかすぐにわかった。
今までも何度かそのセリフを聞き、何事もなく家に帰ったこともあったけど
今回は違うことはすぐにわかった。
交代で手や足をさすったり、心臓の上に手を当ててさすったり祈ってみたり。
義父の体をこんなに触ることなんてなかったな。
こんな時にこんなに手を握ることになるなんてね。

足はとても冷たい。手はとても暖かいの。
時々、本当に時々、握り返すような感覚がある。
「今、ちょっと握ったね」と反対側の手を握る従妹にいうと、
義母が慌てて「ホント?」と聞く。 義母に義父の手を握ってもらう。

だんだんと夜が明け始め、義父は呼吸を忘れるようになる。
「おとーさーん」声をかけると呼吸を始める。
生命維持装置的なものはつけていない。鼻に酸素の管を入れてるだけ。
1時間半ごとに看護士が心音や脈を取りに来る。
血圧が80を切ったら危険といわれていたが、すでに60を切ってた。
そんな状態でもう何時間たっただろう。
1時間交代くらいで両手両足左側の胸辺り 5人がつきそい、さすりながら
のど仏に注目。ちゃんと呼吸しているか、リズムが狂うと誰かが叫ぶ。
  おとーさーん おじちゃーん ○○さーん
左側、心臓の上に手を当ててさするときは開けっ放しののどの奥を見る。
のど仏をチェックするよりよくわかる。呼吸をしてるかしてないか。
なんども「おとーさーん」と呼び戻すうちに、
このまま呼び戻さなかったら逝ってしまうんだな、っていう恐怖と不思議な思いがよぎる。

交代で仮眠をとりながら傍についていること数時間。
のど元を注目していた私、だんだんと呼吸の回数が減ってきてる。
ずっと見てないとわからない程度かもしれないけど、だんだんと減ってきてる。
反対側についてる従妹に「減ってきてるよね」って、言ってしまった。
どうやらみんな思っていたみたい。でも認めたくなかった、って言う空気がただよった。
「そうだよね」の声を聞いたら急にリアルになってきて、
ロビーで仮眠を取っていたスペサンと義母を起こしに走った。
数分後、どんどん呼吸の間隔が長くなってしまい誰かが「先生呼ぼう」って言った。
ナースコールじゃ間に合わないから、ナースセンターに走り誰でもいいから呼んで来た。

すごくリアルに覚えてるけど、いつか忘れてしまうのかなぁ。
書き始めるとどんどん思い出す。今のうちに書き留めておこうと思う。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://hsh.blog4.fc2.com/tb.php/776-9b3748ae
    この記事へのトラックバック


    最新記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。