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ブラッシングは気持ちがいいね♪

2008年09月19日 20:42

一ヶ月ほどの前の写真だけど…

スペサンと一緒にチューブで遊んでるのは誰かな?
0809194.jpg
獅子丸クンでした♪
きょうもかわいいぞ~
0809193.jpg
獅子丸は我が家で一番最初にお迎えしたフェレット。
もともとの性格なのか、一番上だということを自覚してるのかわからないけど
他のフェレたちにちょっと遠慮してるみたいで、
他のフェレたちがいると人間と距離をとりたがります。
0809192.jpg
でも、今日はスペサンを独り占め♪
久しぶりにブラッシングをしてもらって、ご満悦 かな?
0809191.jpg



































先日亡くなった義父のことを書いています。
ここからは、忘れたくないことをただ書き連ねている備忘録です。
読んでもらいたくて書いているものではありません。
なら、ブログに載せるなーって話ですが、
私自身が読み返したい時に簡単に読み返すことができるように書いています。
リアルな表現も含まれ、気を重くさせてしまうかもしれません。
ご注意を…



亡くなる前の日のお昼ごろ(17日)、義姉経由ですぐに病院に行くように連絡があり
スペサンを会社まで呼びにいき、夕方ごろ病院へ。
呼吸はしっかりしていて、会話にはならないけど呼びかけには声で答えてくれた。
義母は病室に泊まることに。 そのほか家族は帰宅。

数日前、病院から
もしもの時には、蘇生的なことを希望するか?
病院から出るときに着せたい服を用意するように
との話があった。
蘇生的なこととは心臓マッサージや電気ショックなど。
家族が全員そろっているときだったら、それは希望しないことにした。
病院から出る時に着せたい服
治療中に来ていた浴衣ではなく、新品の浴衣や
生前好きだった服、思い出がある服などを着せてくれるらしいので、
接骨院の白衣に決めて、義母が用意していた。

亡くなる数時間前、看護士が床ずれが出来ないようにと体を動かしにきてくれたんだけど、
その時初めて、チラッとだけどお腹につけたストーマを見た。
手術で切ったところからは肉腫が出てきていて、浴衣が汚れてた。




9/18 午前11時少し前
義父の左側、頭の方に義姉とスペサン 義母と従妹
右側には先生 看護士
私は伯父と伯母と一緒に足元に。 そのときは私は割りと冷静だったかも。
足元にいた3人以外は、口々にお父さん、おじちゃんと呼んでた。
先生はもう何もしない。看護士が心電図をつけたんだけど、まっすぐな緑のラインが出続けるだけ。
ピンコーンピンコーンという音が鳴り響くと慌てて音を消す。
心電図をつけた意味は、家族達に「もう心臓は動いていませんよ」と知らせるためなんだろうなと思った。
すごく長く感じたけど、3分くらいだったのかな。
先生は「ごらんのとおり、○○さんの心臓はもう動いておりません。」って。
「顔が変わっていくね」私の横の伯母が言った言葉を聞いて急に死がリアルに感じられた。
義父はずっと眠っていたはず。いったいどこが生と死の境目だったのか、全くわからなかった。
泣きながら、自分が過呼吸になりかけていくのがわかったので、
洗面台にあったスーパーのビニール袋を抱え込んだ。
みんな病室や廊下で泣き崩れてた。看護士も泣いてた。
その後先生から治療中のこととか、義父が頑張ったこととか
症例のない手探りの治療を任せてくれてありがとうとか、そんな話があった。
皆で先生にお礼を言った。

15分くらいしてから遺族が部屋に呼ばれ、先生から話。
やっぱりなと思ったけど、解剖のお願いをされ全員一致で承諾。
13時過ぎ 解剖開始
      義父は接骨院の治療室に寝てもらうことになったので、治療室を掃除。
      葬儀のことなど全く決めていなかったので、慌てて葬儀屋を探し依頼。
17時頃  解剖が終わったとの連絡があり、義母スペサン義姉家族で病院に迎えに行く
      主治医も他の先生方も看護士も、整列して見送ってくれたとのこと。
18時過ぎ 義父帰宅

ちょうどお彼岸で、斎場もお坊さんも空きがなく通夜が4日後、葬式がその翌日となった。
22日の出棺まで自宅で寝てもらうので、エアコンは22度設定。ドライアイスは毎日交換。
線香を絶やしてはいけないというけど、
最近では(都市部では?)火災防止のため寝るときは消していいとのこと。
っちゅーか、通夜は夜通し寝ないんじゃなかったっけ?
でも、4日間も無理だし最近では(都市部では?)そこまでしないみたい。
とは言うものの、初日は若い人たちはなんとなく起きていてた。
とても寒い部屋なので、毛布とカイロを携えて。
その後も、(泊まる場所がなかったっていうのもあるけど)私たちは義父と同じ部屋に泊まり、
従兄はわざわざ寝袋持参で「伯父さんと一緒に寝たいから」って泊まってくれて。
生前はありえなかった“不思議なメンバーとの雑魚寝体験”でした。

スペサンとR君が義父の髭剃り。
始めは電気の髭剃り。そのあとシェービングフォームをつけてT字剃刀。
少し暖かい濡れタオルできれいに拭く。
翌日、ひげが伸びてた。自然現象で、不思議なことではないんだって。

18日夜 Tおばちゃんがシチューと炊き込みご飯を作ってくれる。
19日  埼玉へ一度帰宅(フェレと喪服を取りに)
     従妹Tちゃん、従兄Rくんは、毎日来てくれた
20~28日 泊まり (25日 私とフェレだけ埼玉に帰宅)

ほとんどの場合、通夜はその日の晩か翌日の晩だと思うけど、
4日後の通夜って言うのを経験したら、それはよかったのかもしれないと思う。
翌日に通夜、その翌日に葬式だったら、多分私たちにはあっという間すぎて
何もわからない間に終わってしまっていたかもしれないから。
喪主は義母だったけれど、ほとんどをスペサンが取り仕切らなければならなかったから。

21日 納棺
一番安いランクの棺を頼んだところ、下から二番目の白木の棺が余ってるからとの
葬儀屋の計らいで、ちょっといい棺が用意されました。よかったね、お義父さん。
棺の一番下に棺の幅の敷き布団。 
葬儀屋さん2名とスペサン、従兄の4人で寝ているシーツごと義父を棺の中へ。
接骨院の白衣を着たまま、その上に死に装束であるキョウカタビラ(経帷子)をのせる。
誰が何を着せたか忘れたけど、私と従妹はわらじを履かせた(履かせたといっても、足元に置くだけ)
手には数珠を、三途の川を渡るための六文銭を入れた袋を胸の上に。
棺の幅ぴったりの白い掛け布団をかけて、ドライアイスをいっぱい入れてふたを閉めた。

22日 14時 自宅より出棺
出棺後、部屋には義父が戻ってきたとき用の祭壇が作られる。
棺には燃えるものしか入れてはいけないとのことど、数日前から迷った挙句
いつもかぶっていた帽子、スキーウェアのフード(ウェアは入れられなかったから)
水着(ウィンドサーフィン、スキューバ用具は入れられなかったから)
義母の手編みのセーター ゴルフのポロシャツ 家族の写真を入れた。

22日 18時~ 通夜(セレモニー目黒)
自宅からすぐ近所の斎場。 義父もよく知ってる場所。
思っていた以上の生花が届き、思っていた以上の方々がきてくれた。
卒業後ほとんど会っていないスペサンの学生時代の友達や、
神戸に住んでるはずのスペサンの友達まで。
多趣味だった義父愛用の、スキー道具、ゴルフクラブ、スキューバのゴーグル、テニスラケット
等を祭壇の横に飾る。ウィンドサーフィンも飾りたかったけど、それは却下。
帰りは車に乗らず、なんとなく歩いて帰った。従兄Rくん、従妹Tちゃん、T伯母ちゃんと。
おでん、ビール、お菓子やアイスなど、飲み明かすグッズを買いながら。

23日 10時~ 葬儀(セレモニー目黒・桐ヶ谷斎場) 
朝一の飛行機で福岡から私の両親が来てくれた。
そして葬儀にも予想以上の方々がきてくださり、人があふれていた。
義父の小学校の担任の先生まで。
生前の人望の厚さの表れなんだなぁ。
火葬場までのマイクロバスは2台用意したんだけど、それでも乗り切れないほど。
火葬場も随分込み合ってた。 お彼岸の時期は多いらしい。
義父と車で走ったことのある、馴染みのある道を通りながら斎場まで戻った。
精進落としを終え、帰宅。

すごく自然ないい笑顔の遺影で、いろんな人が「いい写真だね」って。
写真選びはスペサンや義姉夫婦でやっていて、私は元のスナップを見ていなかったんだけど
後からあの写真は私と義両親と3人で撮ったときのものだと聞いた。すごく嬉しかった。
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